オムファタール

 吟遊詩人と嘯いて、ひとりの錬金術師が城を訪ったとさ。されども嘘は誠になりて、二人は恋に落ちた。






「それで、呪いは解かれたのかい?」

 ヘクセの問いかけに、わたしはかぶりを振った。砂糖入りのミルクティーを口に含み、あまりの甘さに辟易する。彼が手土産にと持ってきた、ビターチョコレートを放り込めば、程よい苦味が口の中に広がった。
 机の上には、とりどりのお菓子とティーカップ。客人にはヘクセを招き、わたしの家でささやかなお茶会というわけだ。

「相変わらずみたいだね」
「だって、見ればわかるでしょう」

 わたしは、視線を横に向ける。そこには、すました顔で佇むマギの姿があった。

「いくら妖精王に差し出しても、戻ってくるんですもの」
「それが、心というものでしょう?」

 マギは淡く笑み、瞳を細めた。その表情に、わたしは言葉を詰まらせる。
 そうなのだ。あの後、宝物庫は酷い有様になった。妖精王は暫く泣き続け、わたしは途方にくれた。だって、ずっと信じていたものが、脆くも朽ちてしまったのだ。結局、師匠は妖精王を愛していたし、賢者の石なんて元からなかった。それならば、わたしの気持ちのやり場はどうなるの。後に残ったのは、奇妙な脱力感だ。その上、妖精は約束を尊ぶゆえに、融通がきかない。結局、わたしは呪われた身のままだ。

「私は、決めたのです。心震わせる、ということを知った今だからこそ、世界を見てみたい。ペネロピと共に」
「ふうん、熱心だねえ」

 ヘクセが朗らかに笑う。決まり悪くなって、わたしは口を尖らせた。妖精王の城から戻ってきて以来、この調子なのだ。

「しかし、妖精王の宝物庫に2度も盗みに入って、帰ってこれるなんて。全く、尊敬するよ」
「お目当てのものはなかったけれどね」

 本当に、馬鹿みたいな話だ。たぶん、わたしは妖精王を許すことはないのだろう。ただ、わたしは賢者の石を盗もうとした。罪を犯したなら、それなりに裁かれるべきだと思うのは、変わりない。だから、この身にかけられた呪いこそが、贖罪なのだろうか。そこまで考えて、ふと、あの少年を懐かしむ。わたしから鞄をひったくったあの子は、元気だろうか。

「そういう意味では、彼こそが魔性の男だね」
「……彼?」
「アルケー、君の師匠のことさ」

 ヘクセはそう言いながら、ティーカップを傾ける。いまいち、釈然としない。やがて彼は立ち上がり、片手を上げた。

「では、失礼するよ。ご馳走さま」
「もう行ってしまうの?」
「最近薬の売れ行きが良くてね、ペネロピのおかげさ。見送りは無用だよ、魔法の姿見で帰るからね」

 ヘクセはゆったりとした動作で、部屋を後にする。そうして静まり返った室内に、頭を悩ませた。かつては、わたしの手繰るままに動いたホムンクルス。けれども、彼は正真正銘の心を得た。一抹の気まずさを抱え、わたしはマギの方へ振り向く。

「……立ってばかりいると、疲れるでしょう。向かいに座りなさいな」
「ありがとうございます、ペネロピ」

 マギは深く椅子に腰掛け、楽しげにわたしを見つめた。

「とにかく、貴方が大人しく妖精王の元へいけば、わたしの呪いは解かれたんだから。これから、たくさん手伝ってもらうわ」
「まだ、諦めていなかったのですね」
「当然じゃない。今度の貢物は、宝石にしようかしら。それとも、ドレス?」

 妖精王へ献上するための品々を画策する。そうしていると、マギがくすりと笑い声を漏らした。まるで、他人事みたいだ。思わず眉を顰めてしまう。

「……何がそんなに面白いの?」
「いえ、何でもありません。ただ、一つ。覚えて欲しいことがあるのです」

 未だに、饒舌なマギに慣れることはない。マギは笑みを携えたまま、再び口を開く。

「確かに、私は貴方の師であるアルケーに似ているのでしょう。けれど、ペネロピ。私はマギ。たった一人だけの、ホムンクルスです」
「本当、憎たらしいくらい綺麗な顔ね」
「稀代の錬金術師、ペネロピが作り上げたのです。当然のことでしょう」

 胸の内が、何故だかくすぐったい。
わたしは、綺麗なもの、可愛らしいもの、美しいものに胸をときめかせることはない。けれども、自然とこぼれ落ちるマギの笑顔は、なんだかんだで嫌いじゃないのだ。

「明日は、竜人の国に行くわ。そこに、とっておきの宝石があるって噂なの」
「ええ、何処へでも行きましょう」

 ずっと、わたしは空回りをしてきた。まぼろしを追い続けてきたようなものだ。妖精王との因縁は、けして耐えることはないのだろう。今は師匠のことが忘れられないけど、呪いが解かれたその時は。
 マギ、わたしのホムンクルス。いつか、きっと。マギと共に在ることは、わたしにとって、まことのさいわいとなり得るのかもしれない。


オムファタール 終