呪われ錬金術師

 深窓の姫君が、麗しの吟遊詩人に心を奪われてしまったとさ。けれどもいとしの彼は行方知らず、遠い国へ旅立った。


オムファタール
【呪われ錬金術師】


 フードを深く被り直し、辺りに耳をすませる。夜半の歓楽街は、人が溢れんばかりだ。この小さな北方の国では、誰もが噂に夢中だろう。末娘の姫さまが、誰とも知れぬ男と睦言を交わした。それで父王は、躍起になって娘の恋のお相手を探しているというわけだ。

「ねえ、マギ。それで、今回はどうだったの?」

 群衆を縫うように進みながら、隣を歩くわたしの、手ずからの弟子に声をかける。彼もまた、麻のフードで顔を覆っていた。ちらりと覗く唇は、一筋に引き結ばれている。ややあって、それが薄く開かれた。

「上々です。恐らく彼女は、恋の虜でしょう」
「ふうん、恋ね。でも、わたしが聞きたいのはお姫様のことじゃない。貴方のことだわ」
「相変わらずです、ペネロピ。私には、一人に執着するなど、不可解のように思えます」

 マギの口ぶりは、淡々としたものだった。わたしはふうん、と軽く相槌を打った。そうして、彼の脇腹を小突いて、前を見るように促した。三軒先の、酒場の前。きちりとした身なりの衛兵が、辺りを大仰に見回している。やがて視線がかち合って、彼は大股で近づいてきた。無理もない、すすけたローブを羽織った二人組じゃあ、平和に呆けたこの国には似つかわしくないのだ。

「そこを止まりなさい、旅人のお方よ」

 衛兵はまだ若く、鼻を思い切り膨らまして、わたしたちの前へ立ちはだかる。わたしは、これ見よがしにため息をついてみせた。それが彼の癪に触ったのだろう。衛兵は鋭くわたしたちを睨めつける。

「……どうしてでしょう、わたしたち、先を急いでるの」
「姫様を誑かした悪党を捕らえよと、王様の御触れなのだ。罪深き彼奴は、相当の美丈夫ときく」
「それならば、わたしたちは違います。だって、さっきこの国に来たばかりですもの。ねえ、わたしのマギ」

 そうマギに話を振れば、彼は黙したまま頷いた。これで納得するほど、衛兵も抜けてはない。彼は目をひん剥かせて、マギのフードに手を伸ばす。

「とやかくいうな、面を見せろ!」
「ああ、やめてくださいな!」

 衛兵が、勢いよくフードを剥ぐと、露わになった顔に絶句した。土気色の肌に、頰にこびり付いた分厚い肉。何よりも、彼の顔の半分は、赤黒く爛れていた。
 衛兵は小さな悲鳴を漏らして、マギから距離を取る。けれどもわたしの弟子は、何一つ動じることはない。次第にわたしたちの周りに人だかりが出来て、咎めるような視線が衛兵を突き刺す。マギは渋々といったふうに、フードをかぶり直した。

「……なんと気味の悪い」
「わたしたちは、呪われた身です。この傷は、その印。だから、顔を隠していたの」 
「ええい、さっさと立ち去れ!」

 わたしはマギの手首を掴むと、足早にその場を立ち去った。去り際に、衛兵に向けて舌を出すことは忘れずに。
 そうして城下町の外れにある、廃れた宿屋へ辿り着くと、一息ついた。案内された部屋は、やはり寒々しく、ベッドも不潔そのもの。わたしは僅かに顔をしかめたが、マギは飄々としていた。

「やっぱり、姿変じの薬は効果抜群ね」

 マギは、フードをゆっくりと取った。そこには、醜い傷跡を持った青年はいない。すうと通った鼻筋、薄く形良いくちびる、ほっそりとした顎。されども、けして女々しい印象は抱かせない。アメジストの眸は雄々しく怪しくきらめき、アッシュの髪は無造作にもしとやかに艶めくのだ。ローブの下には、獣のごとく流線の筋肉が秘められているのだろう。

 マギ。

 蕾が膨らみかけの娘も、冬を迎える老婆も、隆々とした青年も。全てが、彼の虜となる。魔性の美しさを顔に、肢体に、仕草に宿す。わたしの、うつくしのホムンクルスだ。

「ペネロピ、我が師匠。貴方のたぐる嘘ほど、良薬はありません」
「嘘は言ってないわ。だって、呪いをかけられたのは、本当のこと」

 わたしは頰を膨らまして、寝台に腰掛けた。拍子に、壁に掛けられた姿見が目に入る。一見すれば、痩せっぽちの、小綺麗な町娘に見えるはずだ。

「そして、それを解くために、貴方がいるの。そうでしょう?」

 そうして、手招きすると、マギはわたしの正面に傅いた。彼の頰に、鼻に、額に、手を滑らせる。たしかな皮膚の感触、けれども陶器のごとく、無機質さが漂う。完璧の美しさだ。
 彼の顔に傷一つないことを確かめると、わたしは胸を撫で下ろした。

「本当、綺麗」
「稀代の錬金術師、ペネロピが作り上げたのです。当然のことでしょう」
「そう、そうなの。でも、いくらわたしが天才でも、あなたが美しくても、わたしの心はときめかないの。きれいなもの、かわいいもの、うつくしいもの。いくら近くにあったって、胸うち震わせることが、ないのよ」

 それが、どんなに悲しいことか。人の姿を模しながら、人ならざるマギにはわかるまい。
 妖精王がわたしにかけた呪いは、ひどく惨めなものだった。わたしは、いつだって綺麗なものに焦がれ、可愛らしいものに歓喜し、美しいものに恋をしてきた。けれども一切を、わたしのそれらに対する執着を、彼女は封じ込めてしまったのだ。

 この世で一等美しいものを、差し出すこと。さすれば、貴女の呪いは露と散るでしょう。

 妖精王はそう告げた。この世に二つと並ばぬ美、だからこそ、マギが必要なのだ。けれども、まだ足ることなどない。魔性めく、という言葉はマギのためにあるのだ。花霞の笑みを唇に灯し、うつろう仕草はしなやかに。彼が言を継げば、いかに心閉ざした娘さえ、甘くはにかむ。
 されどマギは、愛を知らない。恋をも厭う。蠱惑のかんばせは、空ろを映していた。マギ、わたしのホムンクルス。ひとたび彼が恋に縋れば、その美はいっそう磨かれるのだろう。