ずっと憧れてきたから、好きだと言われた時、あまり実感が伴わなかった。だって、そういう素ぶりとか彼は見せなかったし。むしろ、嫌われてるのかな、なんて思っていたくらいだ。だからその日は本当に嬉しくて、ああ、幸せだなあなんて噛み締めていた。
だけども。彼と付き合って、1ヶ月くらい。最初は、照れ屋なだけなんだと思っていた。話しかけても素っ気ないし、恋人らしいことなんてないし。強いて言うなら、彼の部活を待って、一緒に帰るくらい。こんなはずじゃなかった。華の女子高生だよ。もっと、ときめくような何かがあるんじゃないのかな。そう、友達に相談したら、来年受験生なのに、夢見すぎだよ。だなんて言われた。
だから、バレンタインデーくらいは、可愛らしいラッピングに、手作りのチョコレートなんてプレゼントしようかな、って思った。姉に頼んで、どれを作ろうか、とか見繕ってもらったり。学校帰りに友達と駅中のお店で、ラッピングを選んだり。あ、これって、きらきらした女の子してない? って自惚れるくらい、あたしは楽しみだったのに。
ぐしゃり。
すべてが、スローモーションのように思えた。せっかく、作ったブラウニー。ゆっくりと放物線を描いて、ゴミ箱へ吸い込まれる。あのコーラルピンクの包装、絶妙な色色合いで、お気に入りだったやつだ。
何かに絡め取られてしまったみたいだった。動けなくて、あたしはじっと、彼の顔を見つめるしかできなかった。張り詰めた視線がかち合って、ふっと、彼は笑った。
「なんで、捨てちゃうの。せっかく、あたし、作ったんだよ」
声が震える。血の気が引くって、こういうことを言うんだな、って実感する。身体は熱いのに、思考だけはやけに明瞭で、いっそのこと、感情に飲まれちゃった方が楽なのに。
「知ってる」
意味わかんない。
「あたしのこと、嫌いなんでしょ。だったら、付き合おうなんて言わないでよ」
「好きだ」
あたしの言葉に覆いかぶさるようにして、彼は言った。あれほどまで、求めてた台詞なのに。今では怖くてたまらない。
「……なんで、どうして」
恐る恐る、尋ねてみる。彼は、おかしくなってしまったのかな。まるで、言葉が通じないような気がした。
彼はしばらく考え込むようにして、眉間に皺を寄せた。あ、その表情も、好きだったな。目つきが悪くて、ぶっきらぼうだから、いつも人に誤解されてしまうけど。それでも、男子同士だと、思い切り笑うこともあって。そういうところが、あたしは。
「……俺も、ずっとどうしてだろう、って思ってた。今、わかった。俺、天邪鬼だ」
「……あまのじゃく?」
「ああ、天邪鬼」
子供を諭すみたいな、優しい声だった。
「お前さ、恋愛映画とか、少女漫画とか好きだろ。あの、クソ胸焼けしそうなやつ。いつも、馬鹿みてえって思ってた。あんな都合のいい王子様みたいな野郎、いるわけねえだろって」
彼は腹の底から、今まで溜まった澱を吐き出すように、つらつらと言葉を並べ立てていった。その間、瞬き1つすることなく、あたしを睨みつける。鋭いけれど、彼の目の奥、何か熱に浮かされたようなものが渦巻いている気がした。
「だけど、お前がその王子様とやらに憧れてるって考えると、無性に腹が立った。そんな風な恋愛を望んでることもな。生憎、俺、そんな柄じゃねえし。だからさ」
身がすくみそうだった。外の陸上部の掛け声も、廊下ではしゃぐ女子生徒のお喋りも。みんな、遠いところでこだましてるような感覚だ。
「理想をぶち壊してやりたくなった。それだけ」
「……それだけって、ひどい」
「勝手に俺に夢見といて、理想違うってわかったら、ひどいって言うお前の方が、ひどい女だろ」
彼が一歩、あたしの方へ詰め寄る。だめだ、逃げたい。でも、体が動かない。
「けど俺は、夢見がちなとこも、好きだ。全部、全部な。なあ、お前は?」
「……っ、あたしは」
好きとか、嫌いとか、もうよくわかんない。ひたすら、彼が怖かった。
「あれ、お前ら、まだ残ってんの?」
その時、ふと後ろから声がして振り返る。教室の扉からクラスメイトの男子が顔を出していたのだ。明るく、彼も仲の良いクラスメイトは、あたしたちの顔を物珍しそうに見比べた。助けて。そう言おうと、口を開こうとしたら、クラスメイトがハッと目を見開いて、にやりと笑った。
「あー、今日バレンタインだもんな。悪い、邪魔したな」
クラスメイトの彼は、視線をあたしの腕の方に落として、そう言った。
手が、痛い。
いつのまにか、手が握られていた。粘つくような、あるいは絡みつくようなそれに、逃げるなと言われているような錯覚を覚える。もう、隣を見ることなどできなかった。
「じゃあ、また明日な!」
「ああ、またな」
快活に挨拶を交わすと、クラスメイトは足早に去っていった。
いまだに、彼はあたしの手を離してくれない。それどころか、空いているもう1つの手まで、繋ごうとした。両手が塞がれ、彼の顔が目の前に迫る。もう、見るしかなかった。
「好きだよな?」
胸に迫り上がる気持ち悪さ。吐きそうになるのをこらえる。いっそのこと、うん、って頷いてしまえば、元に戻るのかな。そうすれば、はなしてくれるのかな。でも、これだけあたしのこと、好きなら、ある意味少女漫画みたいじゃない? なんて、自分に言い聞かせるしかないのだ。だって、彼から、離れられない気がして。
「……あたしも、すきだよ」
途切れ途切れに、そう返す。
「俺も。ずっと、愛してる」
ありふれた、恋愛映画のワンシーンみたい。彼はゆっくりと目を細めた。窓から差し込む夕日をうけて、飴細工みたいに、彼の瞳がきらめく。好きだったなあ、なんて思いながら、あたしもまた、笑うしかなかったのだ。