妖精の幼子

 約束の通り、私たちはそう時を置かずして、再会しました。キングストンの姉弟と会う時は、大抵私の方がお屋敷に赴きました。お屋敷は並外れて魅力的な遊び場でありましたから、馬車に少々揺られることなど、苦ではなかったのです。季節の花が綻ぶ庭園や、趣味の良い調度品に彩られた廊下、子供心をくすぐる謎めいた書斎。私が望むもの、全てがお屋敷には備わっていました。お屋敷であの麗しい姉弟と戯れる時間は、私の人生においては輝かしい時間だったのでしょう。
 キングストン一家が越して来て、2回目の秋が訪れました。その日は囚われのお姫様とその従者を見事に演じきり、庭園で一休みをとっていた時のことです。夕方になる刻でしたから、影は長く伸び、辺りは生温い風に包まれました。どうしてか不穏な気配を感じ、私は無意識にレイチェルのワンピースの裾を握っていたのです。

「ああ、面白かった。イヴ、貴女は役者の才能があるわね」

 木製のベンチに並んで腰掛け、レイチェルは興奮したように語りかけます。話半分に、私は辺りを見回しました。何か、気配がするのです。お屋敷は少々時代錯誤な造りでしたから、独特の雰囲気を放ち、一層恐怖を煽ります。木々のざわめきや土の匂い、蝶の羽ばたきまで、全てが明確に感じ取れました。私の五感は、この上なく研ぎ澄まされていたのです。

「待って、レイチェル。何か聞こえない?」
「まあ、ニコラスみたいなことを言うのね。残念ながら、私には何も聞こえないわ」
「そんなはずはないわ、よく聞いてみて……」

 この時、私は妖精やドワーフ、あるいは魔女のようなものを期待していたのかもしれません。けれども、現実は違いました。遠くから響いて来たのは、ニコラスが私たちの名を呼びかける声だったのです。姉様、イヴリン、どこいったの。足音と共に、小鳥の囀りを連想させる、麗らかな声が近づきます。

「なんだ、ニコラスじゃない」
「イヴ、少しだけ意地悪しましょうよ」

 私がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、レイチェルは整った唇を吊り上げました。そうして、近くの茂みを指差すのです。

「あそこに隠れましょう、ニコラスを驚かすの」

 時折思いついたようにして、レイチェルは弟に悪戯を仕掛けることがありました。最初こそは躊躇することもありましたが、レイチェルは私にとっての善き親友でしたから、断ることは一度たりともなかったのです。
 2人で茂みに身を潜めます。服が汚れることなど、厭いはしませんでした。やがてニコラスの姿が現れて、辺りをきょろきょろと探すのです。

「姉様、イヴリン。僕も入れてよ、ねえ、返事をして」

 私たちがすぐ側にいることなど、気づいていない様子でした。ふと、ニコラスが立ち止まり、ぼんやりと空を見上げます。そうして何事かを、その小さな唇で囁くのです。茂みは視界が悪く、ニコラスの視線の先のものを捉えることは叶いませんでした。しかし、あの瞬間、確かに彼は未知なるものに話しかけていたのです。ふと、レイチェルの横顔を盗み見ると、そこには怒りやら恐れやらが溶け合い、複雑な様相を呈していました。
遂に堪え切れなくなり、茂みから飛び出そうとした時でした。ニコラスは無邪気に歓声を上げたのです。

「わあ、姉様達、そこに隠れていたんだね!」

 ニコラスは無垢な微笑みを携えていました。私達は互いに顔を見合わせ、ニコラスの前に立ちました。

「ニコラス、どうして私達が隠れていることがわかったの?」

 そう問いただすと、ニコラスはあっけからんとした顔で答えました。

「教えてもらったんだ」
「教えてもらったって、誰に」
「僕のお友達だよ」
「お友達って、どんな人なの」
「友達は友達だってば」

 埒のあかない問答に終止符を打ったのは、頬の打つ音でした。ニコラスは打たれた右頬を手で押さえ、レイチェルは無表情で佇んでいました。姉が、弟に暴力を振るったのです。その光景を目の当たりにして、どうして冷静でいられましょうか。

「レイチェル、どうしたのよ!」
「わけのわからないこと言わないで、どうせ貴方ってば、妖精がお友達だって言うんでしょう! そんなものありはしないのよ、お母様が亡くなった時だって、ニコラス、貴方は」

 レイチェルの目は血走っていました。当のニコラスは、訳も分からぬままに、呆けています。

「……もう、いいわ。行きましょう、イヴ」

 やがてレイチェルは私の手首を掴み、駆け出して行きました。残された可哀想なニコラス。しかし、今となっては、レイチェルの気持ちも分からなくはないのです。もし私がレイチェルの立場だったならば、どうしていたのでしょう。