私は、生きたいからここにいるんだ。
白樺さんとの約束の日が時間が来た。私には行かないって選択肢もできたはずなのに、私はこうして外に出ている。月が鈍い光を放ちながら夜空に浮かんでいた。久しぶりにこんな時間に出かけて、いつもと違う街の姿にあちこちを見回した。
向こうの電柱に、人影があった。よわよわしい電灯の光の元、少年が電柱に寄り掛かっている。中学生くらいだろうか。大分小柄だ。
「ねーちゃん、外出禁止なんじゃねえの」
少年は私に気づいたようで、首だけをこちらに向けた。よくとおる声だった。少年特有の、澄んだ声。
「うん、用事があって」
少年はへえと、無邪気に笑った。少年こそ、外出禁止なはずじゃないのだろうか。
「ねーちゃん名前は?」
「寺井、陸だよ」
「俺は伊織、匂坂伊織!」
伊織君。口の中で、名前を転がす。
「じゃあ、気をつけてな!」
少年は小さい体躯をめいっぱい使って、手を振った。私も片手をあげて、小さく手を横に振る。私は夜の校舎に向かって走り出した。景色が後ろに置き去りになっていく。この前と違って、ぐんぐんと走ることができた。足が自然と前へ出る。初めて走ることが楽しいと思えた。
夜の小学校というのは、昼間とは様相を変える。どこかおどろおどろしい雰囲気を纏っているような気がした。校舎は閉まっているが、校舎を囲う金網の一部が壊れているのを私は知っている。ぽっかりと開いた金網は人一人は余裕で入れそうで、私はそこを潜った。昇降口の扉は意外なことに開いている。私は少しだけ申し訳なく思いながら、夜の校舎へ駆けこんだ。
夜の校舎は深閑としていた。不思議と怖いとは思わなかった。窓から月光が零れおちて、廊下を照らす。私は迷いなく屋上へ続く階段を上った。
屋上の扉は、あっけなく開いた。風が一度だけ、悪戯に私の髪をさらう。フェンスの傍に、白樺さんが立っていた。ノースリーブのワンピースは、彼女の腕や脚の長さを強調させている。月光の下で、白樺さんの白い肌は惹き立っていた。その堂々とした佇まいは、月をひきつれているかのようだった。
「時間ぴったりね」
白樺さんが言った。
「呼びだした理由って、なんでしょう」
「貴女にどうしても伝えたいことがあって」
こんな時間に伝えたいこと。私はすごく重大なことに巻き込まれてるんだ。そう、今更ながらに実感した。本当、遅すぎるけど。この夏から、私の生活は変わった。いいや、もっと前からだ。たぶん、この街にきてから。
「この時間なら、きっと誰にも聞かれないでしょうから」
「早く、本題を」
「ええ、話すわ」
白樺さんはふうと、悩ましげに息を吐いた。奇妙なくらいに白樺さんは落ち着いている。そのことが、逆に私の不安を煽る。
「調べていたの、私達が存在する意味を。そして、わかったわ。私達は閉じ込められている。だって、化け物は外に出しちゃいけないんですもの」
「……化け物?」
白樺さんが腕をつきだす。№5348。無機質な文字で、そう刻まれていた。識別番号。私が、私であるための。白樺さんが、白樺さんであるための。
「隔離されていたの。私達は、外に出てはいけないから」
「隔離、って」
「獣化症候群。私達の病の名称よ」
あまりにも現実味がなかった。いっそのこと、全て白樺さんの妄想であったと言ってくれた方が、まだ幾分か信じられたはずだ。いつものんでいた薬。あれは、何のために。体中の血が全部なくなってしまったんじゃないか。鼓動が嫌に耳について離れない。
「私なんかに、それを話したって」
「貴女だから意味があるのよ」
「え?」
「貴女は、特別だから」
頭が痛くなってきた。特別、なんで私なんかが。気づけば、こん、こんと規則的なリズムで音が鳴り響いていた。一定のリズムを刻んでいるそれは、こちらに近づいてきている。私達以外に、人がいる。やがて音がぴたりと鳴止み、あたりが静止する。
「陸、俺はお前に忠告したはずだが」
耳に慣れ親しんだこの声は。私はなけなしの勇気を振り絞って振り向いた。
「朝倉、さん」
「こんな時間に外出なんて許されてねえぞ。そこの№5348も」
「な、んで」
声がかすれた。朝倉さんは自分の顎をなでながら答えた。
「プレゼントを早速つけてくれるのは嬉しいが、警戒心がなさすぎるな。№5348からも注意されてたんだろ」
朝倉さんの視線は、真っ直ぐに髪留めを示していた。
「……朝倉智一。何の用かしら」
「そりゃ、規則違反をしたやつを懲らしめるためだ。お前がこそこそ嗅ぎまわってるのは知ってるぞ。協力者がいることもな」
朝倉さんが白樺さんに歩み寄る。地を這うような暗さで、朝倉さんが言った。
「探偵ごっこはもうおしまいだ」