悲劇へと

 私とキングストンの姉弟の転機となる日を語る前に、ロナルドや彼の妻のことについて触れた方が良いでしょうか。私自身はロナルドと話したことは、手で数えられるくらいのことでした。両親やレイチェル、ニコラスの話を通してしか、彼の為人を窺い知ることができません。
 レイチェルが女子寄宿学校へ入ったことは既に書きました。彼女は夏と冬の長期休暇になると、決まってロイストンへ帰ってきたものです。そして冬になると、キングストン一家は、ロイストンの権力者や友人を募って、舞踏会を開くのでした。あの出来事から1年前、14歳の時も同じようにして、舞踏会に招かれました。祖母から譲り受けた、淡い水色のドレスに袖を通せば、気持ちも浮き立つものです。私は期待に胸躍らせ、お屋敷の戸を潜ったのです。

「イヴ、そのドレス素敵ね!」 
「レイチェルこそ、とても似合っているわ」

 久方ぶりに会ったレイチェルは、洗練された女性へと開花していました。真紅のドレスを凛と着こなしており、誰よりも自信に満ち溢れていました。挨拶もそこそこに済ませ、私達は思う存分に舞踏会を楽しみました。招かれた中には、私達と同じ年頃の男の子も居ましたから、その夜は始終胸を高鳴らせていたように思います。

「やあ、可愛らしいお嬢さん。ご機嫌いかがかな」

 少しの眩暈を感じ、ダンスホールの壁に背を預けていた時でした。ワイングラスを片手に、ロナルドがやってきたのです。

「お招き頂きありがとうございます」
「こちらこそ、子供達と仲良くしてくれてありがとう」

 ロナルドは感じの良い笑みを浮かべました。私もつられて笑みを返します。彼は人に嫌悪感を抱かせない人でした。気品があり、礼儀を尽くし、教養がある、完璧な紳士。全てに恵まれている彼にも、悩ましいことがあるのでしょうか。

「レイチェルは見ての通りお転婆だし、疲れるだろう」
「そんなことありません、一緒に居てとっても楽しいわ」
「ならば、ニコラスはどうかな」

 ロナルドは依然として、小皺をよせて笑っています。けれども、姉弟と同じグレーの双眸は、私を真っ直ぐに貫いていました。たじろぎそうになるのを堪えて、私は慎重に言葉を選びました。

「良い子です、まるで弟みたいに」 
「何か変わったことはあったかな」
「それって、どういうことでしょう」

 すう、とロナルドの瞳が細まります。ああ、この人は探っているのだと直感しました。私は、何も言うまいと決めていました。きっとたわいも無いものなのです。ニコラスは私達を揶揄っているだけ。あれくらいの年頃なら、周囲の大人に構って欲しくて仕方ないのです。

「ニコラスは中々友達を作ることができない子だから、心配でね」
「ああ、こんな所にいた! 父様、私のイヴを独り占めになんてひどいわ」

 助かった、と思いました。レイチェルが私たちの元へ駆け寄ります。その様は可愛らしい子犬を連想させました。そうして頬を膨らませ、怒りを伝えるのです。

「すまない、レイチェル。ほら、もうすぐで別の曲が始まる。2人で踊ってきなさい」
「私もう疲れちゃった。イヴ、葡萄ジュースなんていかが? 父様、取ってきてくださいな」
「仕方ないな、取ってこよう」

 ロナルドは大袈裟に肩を竦め、背を向けて去って行きます。それを見つめ、レイチェルはころころと可憐に笑いました。そして唐突に真顔になったかと思うと、私の顔を覗き込みました。彼女の唇や頬は薔薇色に染めあげられ、甘く綻ぶ花のようだわ、と感じたのです。急にレイチェルに見つめられていることが気恥ずかしくなり、私は顔を逸らしました。

「なんだか怖い顔して父様と話していたから、心配で来てしまったけれど、大丈夫?」
「何でもないわ、挨拶を交わしていただけ。それより、貴女の首かざり、とても高価そうね」

 レイチェルはほほを緩ませ、首飾りをちょいと摘み上げました。華奢の金の鎖に、瞳ほどの大きさのダイヤがあしらわれ、それは見事な首飾りでした。

「母様の形見なの。私とニコラスの顔の作りは母様に似たのね、でも髪や瞳の色は父様」
「性格は?」
「私は父様かしら、ニコラスは絶対母様よ。母様は控えめな人だったから」

 レイチェルは昔に想いを馳せるふうに、溜息をつきました。この姉弟の母なのですから、きっと素晴らしい方だったに違いない、と私は夢想しました。当時の私は、レイチェルやニコラスに、必要以上に魅せられていたのでしょうね。私はとても盲目的だったのですから。

「母様がこの場にいたら、どんなに楽しかったかしら。ニコラスだって、普通に育ったはずなのに」

 レイチェルの言葉に、悲哀の念を感じたことを、よく覚えています。けれども、それは一瞬のことでした。再びレイチェルを見やれば、いつもの快活な表情に戻っています。この時、私にしては珍しく、レイチェルの意見に手放しで賛同することはありませんでした。本当に、そうでしょうか。今思い返しても、ニコラスの魔性は、生来のものではないかと、考えるのです。運命という言葉を信じる年ではもうありません。ですがニコラスは、必ずやロイストンに招かれ、悲劇に身を投じる定めではなかったのでしょうか。