空ろのホムンクルス

 机上に並ぶのは、とりどりの甘やかなお菓子たち。とっぷりとした、琥珀色の糖蜜に絡められた、黄金色のパイ。香ばしく焼きあがったクッキーに、果実とクリームを添えたスコーン。きわめつけは、お供のミルクティー。本来ならば、心ときめかせ、うっとりするような光景なのかもしれない。

「ねえ、マギ。わたしの表情、どう見える?」
「なんらいつもと、変わりありません」
「……そう」

 わたしは思い切り顔を歪めて、目の前のクッキーを一つ摘んだ。おいしい。素朴な味わいが、口に広がる。けれども、それだけだ。かつてのわたしなら、目を輝かせ、それはもう大層喜んでいたに違いない。花畑に吸い寄せられた蝶のように、わたしの指は、テーブルの上を絶え間なく漂うのだ。次は、どれを食べよう。いいや、あまりにも可愛らしくて勿体ない。きっと、こんな具合に。
 この身を蝕む呪いによって、わたしの心のさいわいは、彼方へ去ってしまった。綺麗なもの、可愛らしいもの、美しいもの。あれほど、熱心に集めたというのに。
 小ぶりな銀のフォークでタルトをつつきながら、わたしはマギの顔を窺った。一寸の狂いもないうつくしのホムンクルスは、わたしの対面に腰掛けて、ただぼんやりと空を見つめていた。

「マギ、退屈しのぎに、甘い言葉をくださいな」

 彼の眼球だけが動いて、わたしを射抜いてみせる。そうして、わたしをしばらくじっと見つめて、緩く口角があがる。紫に霞む眸は、大切なものをしまい込むように、そうっと細められた。熱に浮かされた、蕩ける美貌だ。

「私のペネロピ、愛しい方よ」
「うわあ、胸焼けしそう」
「貴方がやれと命じたのですよ」

 まばたきほどの間で、彼の表情はいつもの、無機質なものに変わる。その表情のうつろいは、恋に溺れる少女たちを、幾度も悲嘆の底に沈めてきたのだろう。指を絡ませ、蜜をささやきあった相手が、空ろを宿したおもてで、自分を見据えるのだ。なんと、虚しいことだろう。

「顔は、完璧ね。マギならば、国を傾かせてしまうこともできるでしょう」

 わたしは、この前寄った、北方の小さな国に想いを馳せた。淡い白雪の肌をした、あどけない末姫さま。少しマギが愛を吐けば、喜んで頬を染めた。されども、彼女は知らない。マギが、作り物だということを。

「けれども、貴方の美しさは、何かが欠けてるの」

 わたしのつぶやきは、しんしんと溶けていった。ティーカップから、温かな湯気が立ち上がる様を、じっと見つめる。
 あくまで、マギは人の模倣だ。錬金術師は、人の理にそって奇術をたぐる。命を、心をも作ってしまうなんて、神の領域に踏み込むようなものだ。だからこそ、わたしは探している。魔性のマギが、ひとたび胸を甘く高鳴らせたならば、それはきっと何よりも美しいものになるのだ。
 わたしがじいっと考え込んで来るのを見かねてか、マギは静かに声を滑らせる。

「それならば、ペネロピ。辿るべき道を、貴女が私に示してください」
「辿るべき道、そうね……。あ、そうだ!」

 わたしは顔を上げて、両手を合わせた。

「貴方を飾り立てる衣装を買わなくてはね。秋めいてきたでしょう、衣替えの季節だわ」
「市井へ出るというのですか」
「あと、ヘクセのお店に薬を納品しなきゃ。先立つものも、必要だし」

 いかに名だたる錬金術師といえども、お金がなくてはどうにもならない。わたしの言葉に、すぐさまマギは立ち上がる。慌てて、手でそれを制した。

「ああ、待ってちょうだい。せっかく貴方が作ってくれたお菓子だもの。ときめきを解すことのできないわたしだけれど、おいしいとは思うのよ」
「……わかりました」

 ややあって、マギは緩慢な動作で、ふたたび椅子に腰を落ち着かせる。わたしは、密かに胸をなでおろした。呪われた心では、こんな可愛らしいお菓子たちにはときめかない。だけれど、マギの作るお菓子は絶品なのだ。




 そうしてお菓子を食べ終えて、一通りの支度を整えると、わたしたちは姿見の前に並んで立った。ヘーゼルナッツの髪をした、小柄な娘が映る。その姿のまま、歳を数えることを辞めてから、何年経ったろう。大抵の錬金術師は、霊薬を飲んでは老いを遠ざける。だけれども死そのものからは、免れることはない。それこそ、賢者の石でもない限り、荒唐無稽な話だ。
 わたしは革製の肩掛け鞄の中に、いくつもの薬がしまい込まれてるのを確認する。これらは、大切な品物だ。

「忘れ物はないわね」
「ええ、ありません」

 マギには、大きめの木箱を持たせてある。文句一つ言わない、従順なホムンクルスは、こういう時に便利だ。
 目の前の姿見は、わたしの師匠が魔女から買い取ったものだという。以来、わたしの家にひっそりと置かれている。縁は銀細工で飾られ、鏡面は傷ひとつつくことはなく磨き抜かれ。古く秘せられた術が、この姿見に纏わり付いているのだ。
 わたしはそうっと、鏡に手を伸ばす。触れた瞬間、指先が冷える。鏡が、水面のように揺れた。そうしてぐっと力を込めると、たやすくわたしの指は、向こう側へ吸い込まれた。銀細工の姿見。これは、此方と彼方を結びつける、魔法の品だ。この世には、これと同じような鏡がいくつもあるという。そうして姿見同士、行き来することができるのだ。
 鏡の果ては、花の都へ繋がっている。西に座す獅子王が統べる国の、一等華々しい街。その街の片隅、小さな雑貨屋へ、姿見はわたしたちを誘ってゆく。

「おや、久方ぶりだね。ペネロピに、ホムンクルス」
「ヘクセ、会いたかったわ」

 鏡をくぐり抜けた先、広がるのは埃っぽい室内だ。重厚な装飾の本や、異国めいた髪飾り。奇妙な品々が、棚に所狭しと並んでいる。その奥、怠惰そうにカウンターに頬杖をつく男、彼こそがこの店の主だ。青年、というには覇気がなく、かといって中年というにはまだ早い。濡羽色の髪や、うっそりとこけた頬から、どこか陰鬱な印象を与える。彼、ヘクセは由緒正しい魔法使いの血縁だ。

「依頼されていた、姿変じの薬やしゃっくり止め。あとは魔除けの葡萄酒、媚薬……たくさん持ってきたの」
「ペネロピの作る薬は、評判がいいからね。本当に助かるよ」

 ヘクセは立ち上がり、マギから木箱を受け取った。そうして中身を数えて、瓶詰めされた液体をまじまじと眺める。

「本来ならば、薬作りも魔法使いの領分でしょう?」
「それはずっと昔の話さ。それに、僕たち魔法使いは、直感に頼るところが大きいからね。錬金術師のように、正確性は持ち合わせていないんだ」
「ふうん、そんなものなのかしら」

 錬金術師は、人の理から物を創造する。ならば魔法使いには、魔法使いの理があるのだ。だからこそ、彼らは血統で連なっている。
 ひとしきり小瓶を数え終えると、ヘクセは麻の袋を渡す。受け取ると、しっかりとした重みを感じた。

「これが、先月分の報酬」
「ありがとう、ヘクセ。これから物入りだから、助かるわ」
「どこかへいくのかい?」
「マギの服を買いに、仕立て屋までね」

 ヘクセの視線が、私の後ろに立っていたマギの方へと伸びてゆく。ヘクセは顎を撫でて、目をわずかに見開かせた。

「しかし、よくできた顔立ちだ」
「そうでしょう、自慢の最高傑作なの」
「まだ、呪われたままなのかい?」
「ええ、そうね」

 わたしは肩をすくめて、苦笑する。呪われてから、もう何年も経つ。いつまでもこのままではいられない。

「しかし妖精王に呪われるなんて、何をしでかしたんだ?」
「ちょっと、物を借りようとしただけなの。それなのに怒るなんて、あの女、心が狭いわ」
「ペネロピのそういうところ、尊敬するよ」

 ヘクセは朗らかに笑い声をあげた。彼は容貌とは反対に、気さくで温和な人だ。わたしは密かに、妖精王の彼女を思い浮かべる。記憶の中の彼女は、いつだって憎悪に絡め取られていた。

「じゃあ、わたしたちはもう行くわ。ありがとう、ヘクセ」

 片手を上げて、挨拶をすませる。互いに長い時を生きているからこそ、別れ際は淡白なものだ。
 ヘクセの雑貨屋を出ると、辺りは華やいだ雰囲気に包まれる。花の都と称されるのだ、人の往来は賑やかに、街並みは鮮やかな色彩が広がる。淡い色合いに染め上げられた石畳を歩きながら、わたしは声を落とす。

「いい、何度も言ってるけれど、ここではわたしたちは、薬師の師匠と弟子。だから貴方は、おいそれと、人を誘惑してはだめよ。わたし、この街を気に入ってるんだから。くれぐれも、余計なことをしないでね」
「わかっています、ペネロピ」

 この街には、それなりに思い入れがある。余計な騒ぎを起こして、二度と足を踏み入れることが許されぬ立場になりたくないのだ。だからここでのわたしたちは、普通の薬師の師弟。奇術や呪いとは縁遠く、慎ましく花の都に溶け込む。
 さりとて、マギの顔は嫌でも人目をひく。すれ違う人は振り返ってまで、彼のかんばせに魅入るのだ。

「ペネロピ」

 急に耳元で名前を囁かれ、わたしは何事かと身構える。彼が自分からわたしの名前を呼ぶ時は、何か良くないことが差し迫っている合図なのだ。

「私たちの後ろ、少年が跡をつけています」
「それってどういう……って、わあ!」

 肩に衝撃を感じ、思わずよろめいてしまう。マギに支えられ、そこでようやく気がついた。鞄が、ないのだ。慌てて前を見遣れば、ひとりの少年が、わたしの鞄を抱えて人混みに溶けてゆく。みるみるうちに小さくなる背中に、わたしは呆然と立ち尽くした。要するに、ひったくりにあったのだ。

「わたしの鞄!  報酬!」
「大丈夫ですか、ペネロピ」

 ようやく声を上げた頃には、時既に遅い。少年の姿は、彼方に消えてしまった。マギは特段の感慨もなさそうに、わたしの顔を覗き込む。その仕草に、思わず腹が立ってしまう。マギは悪くない。そんなこと、わかっている。けれども。

「大丈夫じゃないわ!  それに、貴方なら盗られる前にどうにかすること、できたでしょう!」
「余計なことをするな、とおっしゃっていたので」
「前言撤回!  わたしの鞄、取り返して!」

 感情のままに叫ぶ。マギは小さく頷いて、その場を駆け出した。風をきるとは、まさにこのことを言うのだ。しなやかに、されど野を疾走する狼のごとく、彼は走る。
 やがてマギの姿も見えなくなり、わたしはひとりぽつねんと取り残されてしまった。人々は遠巻きにわたしを眺めては、哀れんだ視線を投げかける。しばらくたって、ヘクセの店で暇を潰そうか、と思案していた時だった。マギが、戻ってきたのだ。左手にはわたしの鞄、右手には少年を抱えて。担がれた少年は、逃れようと手足を動かすが、必死の抵抗もマギの前では無駄だ。そのように、わたしが作ったからだ。彼は真顔のまま、わたしに鞄を手渡した。

「待たせて、申し訳ありません」
「それより、その子も持ってきたの?」
「はい」
「離せ、離せって言ってるだろ!」

 少年は苛立たしげに叫び声を上げる。けれどもマギは、微動だにしない。

「わたしは、鞄さえ戻って来ればそれでよかったのに」
「それならば、どこかへ捨て置きますか」
「ちょ、ちょっと待って、マギ!」

 彼のことだから、本気で何処かの路地裏に投げ捨てるつもりだろう。いくらスリの被害者といえども、幼子にそのような仕打ちをするなんて、胸が痛む。それに、彼の身なりを見れば、それなりに困窮していることが窺える。花の都と言ったって、光があれば陰が出来る。大方、わたしたちを観光客だと思い込み、犯行に及んだのだろう。
 善人ぶって、説教を垂れるつもりもない。とりあえず、わたしは少年を下ろすようにマギに言いつける。

「でも、逃げ出さないように肩は抑えていてね」
「くそ、離せ、離せよ!」
「ねえ、お金に困っていたのよね」

 わたしの言葉に、少年は驚いて呆けたように口を開けた。けれども、それは一瞬のこと。すぐに元の、獰猛な野犬の表情に戻る。

「だとしたら、なんだって言うんだ!」
「面倒ごとは嫌いだから、貴方を衛兵へ突き出すつもりはないの。でも、罪を犯したなら、それなりに裁かれるべきだと思うし、善行を積むべきよ」

 そう言って、鞄の中から一つの小瓶を取り出す。エメラルドグリーンの液体が注がれた小瓶を、わたしは少年の顔に突きつけた。

「貴方は贖罪に、この薬を誰かに売りなさいな。でも、適当ではだめ。本当に必要な人のために、売るの。そうすればその人は助かるし、貴方は善行を積んだことになる」
「……はあ?」
「恐らく、言い値で売れる。だって、わたしが作った風邪薬ですもの」

 わたしは少年の手に、小瓶を無理やりにぎらせると、マギの方へ向き直った。

「マギ、解放してやりなさい」
「はい」

 マギは大人しく従い、少年を放してやる。彼は未だ、事態をうまく飲み込めていないらしい。わたしは身を翻して、この場を立ち去る。

「お、おい!」

 戸惑いの滲む、少年の声が背後から聞こえる。けれども、けして耳を傾けることはなく、わたしたちは足早に歩き続けた。
 あの風邪薬を売ったところで、生活が好転するわけではないだろう。ただ、その日の暮らし行きは良くなるはずだ。偽善者だと揶揄される行為だとは、よく分かっていた。こんなことに、意味なんてないことも。彼がもう少し大人になった時、今日のことを思い返しては、あれは憐れみなのだと腹をたてるのかも知れない。

「少し、甘やかしたようでは」
「……乗りかかった船ですもの。欠けら程の情というものは、わたしにだってあるわ」
「私には、よくわかりません」

 別段、マギがわたしに理解を示すことを望んでいたわけではなかった。気分を変えるべく、わたしは明るい声を出す。

「さあ、仕立て屋へいきましょう。貴方の新しいとっておきを、買い付けに行かなくちゃ」

 それよりも、わたしの望みは遥か遠くにある。妖精王に、わたしの美しいものを差し出すこと。これこそが、至上の願いなのだ。