私が12歳を迎えた年、レイチェルは女子寄宿学校に通うことになりました。そのことを知った時、私はひどく悲嘆に暮れ、また父に自身も通いたい旨を打ち明けたものです。しかし私には既に住み込みの女家庭教師がいましたから、希求も敢え無く却下されてしまいました。
レイチェルが彼の遠い地へ渡る日、私は見送りに行き、必ず文を送ることを誓いました。また、レイチェルも長期休暇の度に帰郷すると告げ、ロイストンを去っていったのです。幸いにして、私たちの誓いが破られることはありませんでした。頻繁に文を交わすことで、私の寂しさは幾分かは慰められることとなったのです。レイチェルの手紙には、華々しい学校生活の様子が仔細に書かれてありました。一方で末尾には、貴女ほどの親友には巡り会えそうもない、といった文面が添えられていました。私には、それだけで十分満ち足りたものだったのです。
レイチェルがお屋敷を離れたことで、ニコラスと会う機会は減りました。その頃には私にも、小さな淑女としての芽生えがありましたから、3つ下の少年と野を駆け遊ぶのはどうしても憚られたのです。
初夏の陽気が膨らむ季節、ロナルド・キングストンが私の館に立ち寄りました。彼の背に隠れるようにして、ニコラスが佇んでいます。ロナルドは父に相談があるようで、私にニコラスを連れて遊ぶようにと頼みました。久しぶりに会ったニコラスは、身長こそ伸びたものの、顔立ちはあどけないものでした。きっと私の衣装箪笥にあるドレスを着せれば、しとやかなお嬢さんに見えることは間違いないでしょう。そんな思いつきから、私の部屋で遊ぶことになったのです。
「ニコラス、貴方の顔は本当に女の子のようね」
姿見の前で、私はニコラスの髪にリボンを付けて遊んでいました。ニコラスは少し顔をしかめただけで、抵抗はしないのです。妹がいたらこんな感じなのかしら、と思いながら、私はニコラスの柔らかい髪に櫛を通しました。
「僕は男の子だよ」
「わかってるわ。ほら鏡を見て、この髪飾りがこんなに似合うなんて」
「イヴリンの方が似合うに決まってる」
「まあ、嬉しい褒め言葉ね」
ニコラスは、本当に綺麗な顔立ちをしていました。もう少し肉がつき、髪を伸ばし、頬の色が明るくなれば、並大抵の女性より美しく映えるでしょう。ひょっとしたら、レイチェルを凌ぐかもしれない。そう思わせる程の魔性を具していました。
ニコラスを飾り立てることにも飽き、私たちはお喋りに興じていた時のように思います。思い掛けず、壁掛け時計に視線をやりました。
「もう4時なのね。お父様たちってば、何をそんなに話し込んでいるのかしら」
既に訪問から数時間は経っていました。前々から、ロナルドは父の元を訪れていました。しかし、これほど長く滞在するのは初めてだったのです。
「きっと、僕のことだよ」
ニコラスはうっそりと呟きました。灰色の目に、翳りが帯びています。
「僕は悪い子だから、きっとメイブリック先生に言いつけてるんだ」
「ニコラスが悪い子ですって、そんなはずないじゃない」
事実、ニコラスは物分かりの良い子でした。少々内向的な性質はありますが、素直で心優しい少年です。ニコラスを一目見たならば、誰もが彼を賞賛するでしょう。私もそうでした。
「本当だよ、だって、父様は僕をよく叱るんだ」
「あのロナルドさんが? 想像できないわ」
「訳のわからないことを言うな、って叫ぶんだよ」
ニコラスは俯きがちに話を続けました。声の調子は暗いものでした。私はつい、ニコラスに同情心を抱いたのです。こんな子を叱るなんて、ロナルドが間違っている。そう確信しました。ですからそれを裏付けるため、私は次のことを尋ねたのです。
「例えば、どんなことを貴方は言うの?」
ゆっくりと、緩慢な動作でニコラスは顔をあげました。不健康なまでに色素の薄い肌に、無意識に吸い込まれそうになります。
「妖精と友達なんだ、って言うと父様は大きい声を出すよ。可笑しいよね、僕は嘘を言っていないのに」
私は息を呑みました。同時に、あの日、レイチェルが彼の頬を打った日のことを思い出したのです。ロイストンには、妖精に懸かる伝承がいくつもありました。しかし、あくまでもお伽話なのです。12歳にもなれば、薄々はただの空想なのだと気がつきます。妖精など、いやしないのだと。
「ねえ、イヴリン。イヴリンは僕の理解者になりたい、って言ったよね。僕のことを信じてくれるでしょう?」
ニコラスが、笑いかけます。どうしてか、私の身体は縫い止められ、瞬きをすることしか出来ませんでした。
「良かったね、イヴリン。妖精達も、君を歓迎してくれているよ」
一体、ニコラスには何が見えてるというのでしょう。この部屋は、依然と2人きりのままだというのに。それから、父が呼びに来るまで、私は動けずにいたのでした。