魔女の鞘当て

 楽隊がゆったりとした旋律を奏で、華美な装いの男女たちは、手と手を取り合って躍る。広間には葡萄酒やご馳走が振舞われ、皆上機嫌というわけだ。上流階級の遊びごとは、押し並べて綺麗なものだ。わたしは壁に寄りかかって、それらをただ眺めていた。浮かぬようにと友人が用意した、花緑青のドレスも虚しく、ただ隠れるように佇むことしかできない。せめてもの慰めにとワイングラスを手に取れば、少女だからと禁じられる。時を止めて久しいこの体では、大人たちに混じって社交に興じるなど、到底無理なことなのだ。

「せめて、わたしの呪いが解けていたなら、この光景に胸躍らせていたのに」
「そうですね」

 隣で、マギが無感情そうに同意する。そちらの方を見遣れば、流石にわたしのホムンクルスだ、流行りのスーツをきちりと着こなしていた。常は無造作な髪の毛も、この時ばかりは丁寧に梳かれ、撫でつけられている。正装をした彼は、まさに社交界の花だ。遠巻きに、何人ものご婦人が彼を盗み見ている。

「ねえ、マギ。少し、あちらの方へ向けて微笑んでみて」
「わかりました」

 マギが淡く笑むと、ご婦人方はほうと憂いを帯びて、頬を赤らめる。今日も、マギの魔性は健在のようだ。

「我が師匠は、躍らないのですか」
「みんな大人だし、相手がいないもの。それより、貴方こそ公女の一人くらい、惑わせてきなさいな」
「今回は、心に決めた人がいますから」
「ああ……そうだったわね」

 そうして、視線をバルコニーへ向ける。ほっそりとした肌に、豊かな栗毛を編み結わいた女性。ラベンダー色のドレスは上品なレースを含み、彼女の肌をいっそう神秘的なものにさせていた。抱き寄せたら、折れてしまいそうな儚さ具す彼女が、今宵のマギのお相手というわけだ。





 事の顛末は、古くからの付き合いのある彼女が、わたしの家を訪ったことからはじまる。

「お願い、ペネロピ!  私を助けて!」

 安楽椅子に腰掛け、来たる冬に備えて編み物を拵えていた時のことだ。戸を思い切りこじ開けて、旧友が必死の形相で飛び出してきた。思わず肩がはね、手から毛糸玉が零れ落ちる。わたしは彼女を睨みつけて、それを拾い上げた。

「……ラスト、この前もそう駆け込んできたばかりじゃない」

 彼女、ラストは私の視線なんか、なんのその。両まなこを星屑のように輝かせ、ずいとわたしに迫り来る。ふいに薔薇の香が鼻についた。
 体の線に沿わせた黒の装束は、彼女の魅力的な肢体をさらす。一見すれば、高級娼婦のようにも思えるが、彼女は正真正銘、魔女の血族だ。そもそも、わたしの家は隠れ家のようにして、国境沿いの森の奥に秘せられている。ここを訪ねる人なんて、運の悪い旅人か、人ならざるものと相場は決まっているのだ。

「ううん、今度は本当に本当。運命の相手を見つけたの!」
「それで、どうして欲しいわけ」

 ため息を一つつけば、彼女は唇を釣り上げて笑う。蜂蜜色の巻き毛を指で弄び、彼女は言った。

「ペネロピのところに、とってもかっこいいホムンクルスがいるでしょ。その子を貸してほしいんだ」
「……一から順番に、説明をしてちょうだい」

 突飛な提案は、彼女の得意ごとのひとつだ。わたしは額に手を置いて、眉をしかめてみせる。

「あたし、貴族の青年に恋に落ちたの。彼、すごく上品でね、物腰柔らかくて、それで女性の扱いも手慣れてて……」
「わかったから、それで?」
「でも、彼には婚約者がいるの。それに加えて、彼ってば一途だから、上手くいかなくて困っちゃう」

 ラストは茶目っ気たっぷりに、頰を膨らます。移り気な彼女は、いつだって面倒ごとを持ち込むのだ。その度に話を聞くのは、わたしの損な役割。

「それで、マギにその婚約者を誘惑して、二人を別れさせたい。そういうことでしょう」
「そう、さすがペネロピ!」
「魔女らしく、恋の魔法とかはないのかしら」
「心をたぐる魔法は、並みの魔女や魔法使いには扱えないよ。それこそ、妖精王くらいじゃないとね」

 ラストは意味ありげな目配せを、わたしに送る。

「……わかったわ、マギ、おいでなさいな」

 仕方なく、わたしのホムンクルスを呼べば、彼はすぐに隣の部屋からやってきた。ラストは歓声をひとつあげて、彼の側に寄る。そうして顔を、体を、値踏みをするように眺めていた。

「お呼びでしょうか」
「わたしじゃなくて、彼女がね」

 マギはゆっくりと、ラストの方へ顔を向けた。あいかわらず、その表情はなにものをも映していない。

「やっぱり、とってもかっこいいね、ペネロピのホムンクルスは」
「でしょう」
「あたしが魔女じゃなかったら、すぐ誘惑されちゃうだろうな」

 人ならざるものは、自然を慈しみ、人工物を厭う。だからこそ彼女の軽口は、わたしに突き刺さるのだ。マギの美しさは、魔女や妖精には効き目がない。それならば、マギに、手ずからのホムンクルスに心が芽生えたらどうなるだろう。それはもはや、わたしの元を離れて、至高の美に達するのではないか。人も、人ならざるものも、すべてを魅了する、わたしのマギ。そうすれば、あの妖精王の心臓を射抜いてみせることができるだろう。

「何か考えはあるの?」
「その婚約者、ビオラが招かれた夜会に紛れ込むの。夜会って、特別な雰囲気でしょ。その空気に飲まれてしまえば、あとはマギの思うがまま」

 ラストは器用にも片目を瞑ってみせた。その仕草さえ、様になっていた。

「それで、報酬は?」
「素敵な情報をあげる」

 わたしはひとたび、思考を巡らせる。こういう時、ラストは嘘をつくことはしない。彼女が素敵と口を滑らせるのだから、わたしがまことに望む情報が手に入るのだろう。魔女というものは、概してするりと手からすり抜けてしまう、気まぐれさを持つものだ。しかし、ことさら交渉という場にあっては、信頼に値していいだろう。

「そうね、いいでしょう。マギを貸してあげる」




 そういうわけで、わたしたちは、かくも鮮やかにまばゆい夜会に招かれたというわけだ。招待状の偽装は、ラストにとってはお手の物だ。細々とした支度は彼女に託して、わたしたちは侯爵様の振る舞う夜会に躍り出る。ビオラ、男爵の一人娘。彼女こそ、今宵のマギの愛しの君だ。
 バルコニーに佇む彼女の様子をうかがいながら、わたしはマギに尋ねてみせる。

「相手に想い人がいるのは、はじめてね。それで、自信のほどは?」
「私の務めは、貴方の意志と共にあります。ただ、それだけです」
「では、仕掛けましょうか」
「わかりました」

 そう頷いて、マギは真っ直ぐに歩みを進めた。わたしも、遅れてあとに続く。そうして、バルコニーのかたわらの垂れ絹に身を寄せた。マギはちらりとわたしを一瞥して、すぐ横を通り抜け、ビオラの元へ向かう。

「このようなところにお一人で、どうかされたのですか」
「貴方は……」

 上等な帳から顔を出し、ひそやかにバルコニーの様子をうかがう。マギは淡い笑みを携えて、ビオラに話しかけていた。ビオラは驚いたように目を丸くする。当然だろう、何故ならわたしの、至上のホムンクルスが話しかけたのだから。
 マギは戯けたように肩を竦め、そうしてこうべを垂れた。

「失礼致しました、まずは、名前を名乗るのが礼儀でしょうね」

 マギは一層、笑みを綻ばせる。その唇に絡め取られたら、あとは堕ちてゆくだけだ。

「私は、アルケリア。湖水地帯に領土を構えます、オルレアン家の嫡男ですよ。存じ上げませんか?」

 マギは嘘を並べ立て、流暢に言葉を継いでみせる。アルケリア。いざという時のために、私がしたためた、マギの偽りの名だ。

「その、ごめんなさい。あまり、オルレアンの名を聞いたことがなくて」
「いいんです、しがない辺境領の生まれですから。それで、貴女のお名前をお伺いしても、よろしいでしょうか」

 マギの双眸は、悪戯めいたように緩む。

「挨拶が遅れましたわ、私、ビオラ・ロレーヌと申します」

 はじめこそ当惑していたビオラだったが、さすが公女というものだろう、次第に平静を取り戻す。彼女はしゃなりとした仕草で、一礼を済ませた。

「美しい淑女に心奪われて、此処まで誘われてしまいました。貴女は、人を惑わせるのがお好きなようだ」
「まあ、そんなこと、ありません……」

 マギの視線から逃れるように、ビオラは顔を俯かせた。
 ラストの話では、ビオラとその婚約者の婚儀は、間近なのだという。しかし、互いに婚礼の支度で忙しく、近頃では逢瀬を交わすことは少なくなったそうだ。どこか酩酊した心地の夜会、そんな折に現れた、古典的な夢物語の王子様。マギは、あえて演劇めいた話し方をしている。彼女が、自分は特別なのだと錯覚してしまえるように。

「どうか、顔を見せてください」
「貴方の方が、綺麗な顔をしています。それに比べて、私なんて……」
「謙遜されるなんて、心まで美しいのですね」

 マギは痺れてしまうような、うっとりとした表情を形作る。

「どうか、一曲、踊って下さいませんか」

 ゆっくりと差し出された手は、ひどく抗いがたいものだ。今のわたしには、美しいものの前に、ひたすらに圧倒される気持ちがわからない。呪われた身ゆえに、美しいものに陶酔することなど、できやしないのだ。
 ビオラは蠱惑的な誘いを受けようと、マギの手を取ろうとする。けれども、そこで彼女の時が止まった。

「ごめんなさい、私、貴方と踊れません」  
「もしかして、すでに貴方の心を奪った方がいるのですか?」

 縋るように、マギは切々とした声を出す。ビオラは手を引っ込めた。
 その様に、わたしは奇妙な憧憬が溢れてきた。そうだ、わたしは、知っている。誰かをひとすじに、恋うということを。今はその感情は、まぼろしに霞んでしまったけれど。確かに、覚えているのだ。勝手に、身体が動いていた。わたしは、二人の前に飛び出していたのだ。

「アルケリア、こんなところにいたのね!」
「……ペネロピ?」

 わたしに向けて、マギの端正な顔が歪められたのを、初めて見た気がした。けれど、そんな事はどうでもいい。わたしはマギの腕を取り、早口にまくし立てる。

「ほら、わたしと踊る約束でしょう。まさか、忘れたっていうの?」

 ビオラは何か言おうとして、口を開いたが、結局は言葉が見つからなかったようだ。わたしは彼女ににっこりと微笑み、そうしてマギを広間の方へ押し遣る。

「ごめんなさいね、でも、わたしの方が先約なの。さあ、行きましょう」

 どうして、こんなことをしているのか、自分でもよくわからない。一度は断られたとはいえ、あのままマギに任せていたならば、あとは時間の問題だったろう。ただ、彼女がマギの魔性を断ち切った時。何故だか、わたしは居ても立っても居られなかったのだ。

「どうして、出てきたのですか」

 広間に戻ってから、ようやくわたしはマギの腕を離した。マギの問いかけは、非難を含んでいる気がして、思わず顔を背ける。

「……羨ましかったんだと、思うの」
「羨ましい?」
「純粋に、誰かを想うということが」

 絞り出された声は、あまりにも頼りないものだった。ビオラに羨望し、そうしてかつての自分を重ねたのだ。

「貴方には、わからないでしょうね」

 無意識に零れ落ちた言葉に、思わずはっとする。あまりに、残酷ではないか。いくら、心のないホムンクルスとはいえ、自分自身に腹が立つ。違う、こんなことが言いたいのではない。急いで顔を上げる。息を飲んだ。だって、マギが、僅かに眉を顰めて、わたしをじっと見つめるのだ。さりとて、それはたまゆらほどの間のことだった。

「それでも」

 マギは、はっきりと告げる。

「ペネロピが、教えてくれるのでしょう?」

 それは、穏やかなひとしずくだった。祈りにも似た響きにも思える。そうして、ふたりの間には、奇妙な静けさだけが灯った。姦しいお喋りの声も、優雅な弦楽器の音も、ほどけてしまった。
 わたしは深く息を吸い込んでは、時間をかけて吐き出す。

「……ごめんなさい。そうね、確かにマギの言う通りだわ」

 きっと、絶対に、わたしは呪いを解いてみせる。その時こそ、マギは感情を知るのだろう。

「あとで、ラストに謝らなくちゃ」
「そうですね」
「せっかくだから、もう少しだけ。夜会なんてものを、楽しんでみましょうか。マギも、たまには息抜きも必要でしょう?」
 
 まるで、普通の人のように振る舞うのも、悪くないのかもしれない。呪われた錬金術師と、人為のホムンクルス。このふたりが、煌びやかな夜会に入り混じるなど、夢にも思わないだろう。なんだか、幼子の秘密の悪戯みたいで、微弱な興奮にとらわれる。
 マギは先ほど、ビオラにやって見せたように、今度はわたしに向かって手を差し出した。わたしは、首を捻る。どうしたと言うのだろう。

「ペネロピと踊るというのが、先約でしょう」
「あれは、ただの空ごとなのに」

 そう笑い飛ばすが、マギは手を遣ったまま、わたしを見つめるばかりだ。先ほどは、おやと思ったが、やはり彼にはまだ人の心を解することなどできないのだ。だって、あまりにも冗談や嘘が通じない。

「わかったわ、一曲だけよ」

 マギの掌に、自らの手を重ねて。恋人同士の真似事をしたって、マギの眸は虚空に輝くのだ。ひときわ、そこに熱が加わったらば。アメジストも、砂糖に浸した飴細工に変わり果ててしまう。
 思い巡らせれば傍に、褪せた記憶が寄り添う。かつて、誰かのために、胸を焦がしたことを。さりとて、その心すら、今では朽ちて底に沈んでしまったのだ。